「Farinette(ファリネット)」綱島久枝さん
自然の力を信じて焼く、旬野菜の自家製酵母パン。
千葉県八千代市、八千代台駅を降りて徒歩10分のところ。綱島久枝さんが営むお店「Farinette(ファリネット)」は、商店街を抜けてマンションのテナントにある、小さなパン屋さんです。
パンに使用する小麦は全て国産のもの、野菜や果物は旬のものだけを使用します。ブルーベリー、いちご、枝豆、ズッキーニ、玉ねぎなど、それぞれ季節に合わせて、使用する材料を変えていきます。
Farinetteのパンは全て動物性の食品不使用、ヴィーガン(完全菜食)やベジタリアンの方でも食べられるようになっています。また、白砂糖は使用せず、砂糖の使用も控えめ、素材の甘みを生かして作ります。無添加や有機食品、無農薬の野菜など、できるだけ体に負担の少ない食材にこだわり、酵母には無添加無農薬のグリーンレーズンで起こした自家製の天然酵母を使用しています。
お店は週に2回ほど営業、お客さんは地元の常連さんがほとんどです。
その時期に獲れた野菜が一番おいしい。
久枝さんは、旬の野菜を普段の食生活に取り入れるようにしています。Farinetteのパンも同じです。できるだけ地産地消、その季節にしか獲れない食材を地元の農家や八百屋で仕入れ、パンに使用します。
お金儲けをするためなら、誰もが好むメロンパンやクリームパンを常に置いていればいいのかもしれません。それでも定番メニューを作らない、彼女なりの理由がありました。
Farinetteで玉ねぎフォカッチャは、玉ねぎの旬の時期だけ販売されています。玉ねぎは年中売られていますが、4月から5月にかけて獲れる新玉ねぎが一番甘みがあっておいしいからです。
「栗のパンが売れる時期は、冬かもしれません。でも、ここでは秋にしか販売しないんです。」と久枝さんは語ります。
栗は加工すれば貯蔵できますが、Farinetteでは栗の旬を過ぎると次に登場するのは1年後になります。旬の食材を使用することで、常に一番おいしいパン作りを心がけています。
自分の体について考えるようになった。
久枝さんは、子どもの頃から体に優しい食生活を心がけていたそうです。結婚して子どもが小学生にあがる頃、久枝さんはパートで働き始めました。すると、時々体調がすぐれないことがあり、自身の食と健康について見直すようになります。
子育てをしていたこともあり、体に優しい食生活が必要だと気づいた久枝さんは、食と健康について学ぶようになります。学んだことを日々の生活に少しずつ取り入れていくうちに、体調の改善がみられるようになっていきました。
久枝さんがもっとも共感した食の考え方が、「旬の野菜を取り入れること」でした。それが現在のFarinetteのコンセプトに繋がっています。
できるだけ自然に近いものを。でも、パンだけはやめられなかった。
旬の野菜にこだわる久枝さんが、唯一やめることができなかったのが、パンでした。
パンのもっとも重要な材料は小麦です。国内でも小麦は生産されていますが、小麦はもともとヨーロッパのように、乾燥した暖かい地域に適しています。日本のように、雨が多く天候が安定しない地域では、そもそも小麦を栽培するのは難しいのです。
旬の野菜と地産地消にこだわりのある久枝さんにとって、小麦を使用し続けることに、少し抵抗がありました。それでも、パンを食べることだけはやめられなかったと言います。
動物性の食品不使用でも、おいしいパンは作れる。
動物性の食品を使用していないことも、久枝さんこだわりの一つです。家畜というのは人の手によって作られたものだから、自然から少し離れたものと彼女は考えます。バターや卵など、市場のほとんどのパンには使用されている動物性の食品でも、Farinetteのパンには使用していません。それでも、旬野菜だけでおいしいパンを追求してきた彼女は、豆腐を使用した卵パンや、豆乳をベースにマヨネーズやチーズに似せるなど、動物性の食品不使用を実現させてきました。
旬の野菜は栄養価が高くて甘味があるから、動物性の食品を使用しなくてもおいしいパンを作ることができると、久枝さんは語ります。
「私が毎日食べたくなるパン、たくさん食べても安心して食べられる、そんなパンを作りたい」と語る久枝さん。みんなに旬のおいしさを教えてあげたいという彼女の想いがありました。
初めて作ったホームベーカリーのパン。
久枝さんは家族の都合により、札幌、岡山、大阪、名古屋、千葉など、各地を転々としてきました。
もともとパンを食べることは好きだったのですが、特別パンを焼いていたわけではありませんでした。
ある日突然、焼き立てのパンが食べたいと思い、はじめて自宅でホームベーカリーのパンを焼きました。久枝さんはホームベーカリーをきっかけに、少しずつパン作りに夢中になります。
「当時は札幌に住んでいて、雪が降っている日だったのですが、夫にホームベーカリーを買ってきて欲しいとお願いしたんです。パン作りはそこから始まりました。私がパン屋になるなんて、当時は考えもしませんでした。」
ある日、テレビの番組で天然酵母パンの特集をみていた時、自然の力でパンが膨らむということに、魅力を感じました。ドライイーストを使うのが当たり前だと思っていたけれど、自分で酵母を培養できるということを知り、ここから天然酵母を作り始めます。
一緒にパンを作る、仲間がいた。
ホームベーカリーをきっかけにパン作りをするようになり、当時住んでいた名古屋市近郊のカフェベーカリーで働いていました。また、娘のママ友と仲良くなり、一緒にパンや料理を作るようになりました。その後、パンを一緒に作らないかと友人を通じて紹介されていくうちに、パン作りの仲間ができました。彼女たちのおかげで、徐々にパンの腕は上がっていったと久枝さんは語ります。また、当時の仲間たちと一緒に店舗のスペースを借りて、パンを作って販売するようになりました。
「いつか私たちのお店を作りたいよね」と夢をたくさん語り、当時の思い出について久枝さんは楽しそうに語ります。仲間たちと一緒にパンを製造・販売できる共用のキッチンを作ろうと、計画を進めていました。
「共用のキッチンがあれば、もっとみんなでマルシェに出店ができる。」「もっとみんなでパンを作っていきたい。」
同じ食の価値観と、パン作りにおいて切磋琢磨できる仲間が、彼女にはありました。
しかし、仲間たちとは突然お別れすることになります。久枝さんの家族の事情で、関東へ引っ越すことになったのです。
一度諦めたパン屋さん。
久枝さんは千葉県八千代台に引っ越すことになりました。仲間にこのことを伝えるのは、とても申し訳ない気持ちだったと言います。
「仲間の顔は最初は厳しい表情でした。それが今でも覚えていて。一緒に計画を進めていたのに、(私が突然抜けることに)とても申し訳ない気持ちになりました。それでも、最終的には快く見送ってくれました。」
八千代台に引越してから、しばらくパンは焼いていませんでした。
仲間もいなければ、パンの機械や設備もない。もうパンを焼くことはないだろうと、久枝さんは感じていました。今まで集めてきたパン屋の開業に関する本は、引越し先には一冊も持ち込まず、パン屋の夢は諦めるつもりでした。
「突然決まったので、仲間とお別れも十分にできませんでした。私だけそこに住むわけにはいかないし、家族の方が大切だから、仕方なかったですね。」
それでも、家族の応援があった。
引っ越ししたタイミングで諦めかけていたパン屋さんを、もう一度背中を押してくれたのは、久枝さんの家族でした。
「いつかパン屋をやりたい」と言い続けていたことを、家族は覚えていたのです。
「最初は自分のため、家族のためにパンを焼こうと思いました。あとはパートで働こうと思って。パンを仕事することは、当時はあまり考えてはいませんでしたね。」
こうして、少しずつパン作りを再開します。
このオーブンが、お店を始めるきっかけに。
久枝さんが住む家の近くに、気になっていた素敵なパン屋さんがありました。しかし、このお店はもう畳む予定だったのです。
そのお店にあった立派なオーブンを見て、久枝さんは店主に尋ねずにはいられませんでした。
「そのパン屋の店主には、『残念ながらオーブンは処分するしかない。』と言われ、思わず『これ、いただけませんか?』と言ってしまったんです。これが後に、パン屋さんを開くきっかけになるとは思いませんでした。」と久枝さんは笑いながら話します。
なかなか酵母がうまくいかなくて。
自宅で作っていた時はうまくいっていたものの、新しい物件ではなかなか酵母が育たなくて、納得のいくパンを作ることができませんでした。酵母は時には温度や湿度のコントロールが必要です。しかし、久枝さんは、できるだけ自然の力で起こしたいという気持ちがありました。それでもうまくいかず、温度コントロールができる機械を使うことに。なかなか納得のいくパンが作れなかった久枝さんは、しばらくお店のオープンに踏み切ることはできませんでした。
それでも店舗の準備は進んでいたので「もうオープンしたら?」と、家族の言葉が彼女を後押しします。
私は支えられているんです。
家族に支えられ、2020年にお店をオープンします。自家製の天然酵母と地元の野菜を使用した体に優しいパンを、たくさんの人に届けられるようになりました。
オープン前の集客方法は、外に置いてある看板と、娘が作ってくれた広告チラシを近所に配っただけでした。そこからSNSの活動も本格的にスタートし、久枝さんが作るパンを求めに遠方から足を運ぶお客さんも少しずつ増えてきました。
また、名古屋にいた時の仲間が「受注販売するから、シュトーレンを焼いてくれない?」と連絡がきました。一度は途切れそうになった繋がりも、少しずつ戻るようになっていきました。
「私がこうしてパン屋をオープンすることができたのは、間違いなく家族や仲間のおかげだと思っています。そして、このお店を少しでも長く続けていきたいですね。」
「私は支えられている」と、久枝さんから出てくる言葉には、いつも感謝の気持ちで溢れていました。家族がそばにいる安心感と仲間が応援してくれるからこそ、彼女は日々挑戦し続けることができます。そして、「おいしい」と感謝されることが、パンを焼く彼女の喜びとなるのです。
「地元の人には旬野菜のパンがおいしいことを、もっと知ってもらいたいですね。ただ、”おいしい” だけではなく、食のこだわりについて、もっと伝えていきたいと思っています。また、お店のコンセプトに共感してくれる方が、遠方からわざわざ足を運んでいただけたら、それもまた嬉しいですね。」
自家製の天然酵母と旬の野菜で焼くパンがおいしいことと、ヴィーガンやベジタリアンの方でも食べられるパンがここにあること。少しずつ広めていきたいという久枝さんの想いがありました。