「moi bakery」 杉山智子さん
地域ごと楽しく!みんながひとつに集えるベーカリー
東京都多摩市。珍しい野鳥も訪れるという緑あふれる公園のとなりに、小さなパン屋「moi bakery(モイベーカリー)」があります。
国産小麦を長時間発酵させ、焔でしっかりと焼き込んだパンは、いつまでも噛んでいたくなるような奥深い逸品。ご近所さんに愛されるお店を営む、杉山智子(すぎやま ともこ)さんにお話を伺いました。
緑に囲まれたベーカリー
東京都、多摩センター駅からバスで5分。静かな住宅と苔むす公園を抜けると、ユニークな建物が目に入ります。公民館に間違えられることもあるというイベント・スペース、八角堂。その1階に「モイベーカリー」のあたたかな灯りが点っています。
卵とバターは不使用。安心して食べられるパン
一番人気の商品は、国産小麦とゲランド塩を使ったカンパーニュ。がっつりと焼き込んだ香ばしさと、長時間発酵させた弾きの強い食感が特徴です。
アレルギーのある子ども達が多いことから、卵とバターは不使用。身体に良い素材だけを使い、みんなが安心して食べられるパンを作っています。
プレーンのほか、ドライフルーツ、ナッツ、チーズとオリーブのカンパーニュなども。幾度も噛むうちに、じんわりと旨味が舌に広がります。
ラインナップはパン15種類、スコーン6種類、タルティーヌ類8種類。そのほか、地元の農家さんから仕入れた季節の無農薬野菜を使ったパンを展開しています。
お客さんの期待に応えるために
カンパーニュをかじると、小麦の豊かな香りや酸味、生きているような生地の滋味にハッと驚きます。ところが、ベーカリスタの杉山さんは「こだわりのパン屋だと思われがちなんですが、全然そんなことなくって」と、意外なひとこと。
「ある一定の、自分がおいしいと思う基準はあるんです。イーストの香りが強いパンが苦手で、極力控えたい。塩は、口当たりが柔らかなゲランド産。旨味を持たせるには、長時間発酵が必須なので、必ず前日には生地を仕込み、最低でも12時間は寝かせます。
けれども、それ以外のところは、こだわりを捨てました。
一人で焼くので、数をこなすには単純な成型しかできません。だから大きなパンや丸いパンを焼きます。できる範囲・技術で、最大どこまで作れるか? お客さんの期待に応えるためには、捨てられることは捨て、変えられるものは変えます」
大きな石窯のオーブンは、どうしても譲れなかったポイント。
「火の匂い、焔の旨味があるのでガスオーブンを使っています。火のエネルギーを持たせるというのは、香ばしさが違う。焦げてます。と、返品されることもあるけど……笑」
雑貨に本、さまざまな要素をミックス!みんなが集える店づくり
カフェスペースに足を踏み入れると、おしゃれな調味料や地元のはちみつ、雑貨に心がおどります。壁に並ぶのは、絵や写真に囲まれた環境で育ち、学芸員を目指したこともあるという杉山さんセレクトの本たち。お店を訪れるきっかけは、パンでなくてもよいのだとか。
「コーヒーを飲むため、本を読むためでもいいんです。水曜日には野菜も売っています。パンだけだと、パン好きしか来ませんが、いろんな人やモノがミックスされるお店をつくりたかったんです」
モイベーカリーの客層は幅広く、男性ひとりの方から親子、ご年配の方まで……その8割はご近所さんです。
誰でも気楽に打ち解けられるお店を象徴するのが、大きな豆型のテーブル。
「大きなテーブルの上で、同じ窯のパンを食べたなら仲間になれるんじゃないか?という発想で。歳や性別、繋がりに関係なく、みんながひとつに集える雰囲気にしたい!と、大工さんに伝えて作ってもらいました」
いまでは、子ども連れのお母さんに年配の方が話しかける姿も。控えめな音楽が心地よく流れるなか、テーブルを囲む常連さんたちの交流が生まれています。
オープンであたたかな空気感は、無農薬野菜を仕入れている農家さんにまで広がります。
「土曜日のブランチでは、スープを提供してくださっている農家さんに、店頭へ来てもらっています。彼女にもお客さんに会ってほしい、食べた方が喜んでいるのを見てほしいと思いました。スープがおいしかったよ、って言葉を直接伝えてもらったり……」
そうして大切に育まれた縁は、巡りめぐってモイベーカリーのもとへ。
「うちに来てくれるお客さんは、すごく高い確率で、目を見て『ありがとう』って言ってくれるんですよ」
パン屋を開くまでにはオーブンを4台壊したことも!
生家は写真館だったという杉山さんは、アートやデザイン関連の印刷会社に就職。結婚と出産を期に退職した後は、3児を育てる日々が続きました。
「子供が3人もいると、基本的に動けません。好きなパン屋さんがあったけれど、家を出る気にもなれず……じゃぁ自分で作っちゃえ!と思って、パンを焼き始めたのがきっかけです」
杉山さんには明確なパンの好みがありました。
穀物が生きているパン。
噛みしめると味が伝わってくる、素朴さと力強さがあるパン。
焦げるギリギリまで、しっかり焼きこんだパン。
理想に近づけるために勉強と工夫を重ね、オーブンを4台壊したのだとか。
「好みのパンにはスチームを使うんですが、電気オーブンは蒸気で一気に壊れちゃうんです。研究は楽しかったんですが……笑」
作ったパンを友人たちにおすそ分けするうちに、口コミで輪が広がり、マルシェやイベントなどへ呼ばれるようになりました。
「売り始めたら、もっと反応も知りたいし、喜んでほしいという気持ちが出てきて。ただ、自宅で焼くのは制限があるので、どこかで工房を持ちたいと思うようになりました」
その矢先に、マルシェの常連さんから八角堂へ出店のお話しが!工房は欲しかったけれど、まさかお店を持つとは思っておらず、怖気づいて眠れなかったと言います。
「でも、八角堂の方が『なんでもやってみればいい』と後押ししてくださいました。わたしの強みは、“パン屋たるものこうあらねば” がないこと。いまだにホイロ(発酵器)もありませんが、自分なりの工夫で間に合わせられます。臨機応変さを持てるのは、小規模ベーカリーならでは」
タナボタ的に開業した、とはにかむ杉山さん。しかし人一倍「だれかのしあわせのために」はたらき続けているのが伝わってきます。
「ひとりでベーカリーを立ち上げたと思ったことは一度もなくて、感謝以外ありません。お客さんが住んでいるからには、地域ごとより良くしたいと考えています。“この街には、きっとこれがあったほうが楽しいな”という小さなアイディアを、50個ぐらい絶えず自分の中に持っていて……不思議と同じようなことに興味のある方がお店にいらっしゃって、さらに新しい繋がりが広がるんです」
オープンから4年目を迎えたいま、モイベーカリーでは様々なマルシェやイベント、ワークショップが自発的に開かれています。
ベーカリスタとして、3児の母親として
モイベーカリーの朝は、3時半にスタート。お店と子育てのバランスは難しく、初めのうちは身体を壊すこともありました。
「まず、“やらなきゃいけない”を捨てました。お店もスタッフを増やし、できないことは任せる。朝の子どもの世話は夫にお願いして、15時の閉店後からはわたし。夕飯は作りますが、お茶漬けの時もある。母親としての理想像との葛藤もあったけれど、削らないとできないこともあります」
その決意にも似た心情を正直に綴ったインスタグラムの投稿は、多くの母親から「わかる!」と、反響がありました。
「でも、意外と子ども達は『そういうもんか、かあちゃんはパン屋だから!』となりました。逆に、おかずの品数が多いと感謝されたり。笑
できないことを無理にやり続けるのは、結局は自己満足。子どもって、そうじゃなくても元気に生きていけるんですね」
優先するもののために潔く捨てていく姿勢は、どこかパン作りと共通するものを感じます。イライラするよりも罪悪感を捨ててしまう方がいい、と言い切るほがらかな笑顔が印象的でした。
ベイクマは、商品の良さが一番!
モイベーカリーで使用する小麦粉は、ベイクマへ発注。国産小麦の種類が豊富で、料金もお得なところが気に入っています。
「サポートしてくださる窓口の方が、とっても面白い! 在庫の情報や、新商品の案内などを細やかに教えていただいています。大きいベーカリーは25Kgの袋を扱いますが、わたしは持ち歩けません。2.5~5Kg単位で発注できるのもいいですね」
新たな扉をひらく、モイベーカリー
パンを売っているけれど、たぶんパンじゃないものを売っている、という杉山さん。
「ここは、色々なものをひらく扉になるお店。パンがきっかけで無農薬野菜に興味を持ったり……新しい扉がひらく場所になるといいな。と、ずっと思っています」
本を増やしたいし、紹介したい陶器もいっぱい……と、瞳を輝かせる姿を見ていると、自然とまたここを訪れたいという気持ちが湧いてきます。
"Moi"とは、フィンランド語で「こんにちは」の意。その名の通り、お客さんや生産者さん、さらには地域全体へとひらかれ、育っていくモイベーカリーから目を離せません。
(文・写真 Grace Okamoto)