佐藤農業株式会社(北海道清水町)佐藤裕一さん
徹底した顧客志向で食の未来を支えたい
北海道の中央を貫く日高山脈の東側に位置する清水(しみず)町。農業が盛んな十勝平野の西部にある人口およそ9,000人の小さな町で、3代続く農業を営んでいる佐藤農業の佐藤裕一さんにお話を伺いました。
祖父の代から続く農業を受け継ぎ、農業経営者の道へ
実家が農家だったので、いつかは自分も就農するのだろう……。そんな思いが、常に頭の片隅にあったという佐藤さん。戦後、わずかな土地を開拓し、お祖父様が始めたのが農業と酪農だったと言います。その名残は、当時から変わらずに使用している看板に表れていました。
「雑木林を切り拓くところから始まりましたからね。農作物を育てる以前の苦労が、多々あったんじゃないかと思います。その後、父の代で区画整理や排水の改良を行い、畑作の条件を整えました。そのおかげで今の僕があるという感じですね」。
大学卒業後に一度は就農したものの、すぐに海外へ渡航したという佐藤さん。「一旦、外から農業を見てみたいと思った、と言えば聞こえは良いですが、単に海外を放浪していた時期もありました。それでも夏が来る度に地元に帰って来て家業を手伝ってはしていましたし、頭にはずっと農業のことがありました」。
「実は企業経営に興味があったんです。どちらかと言うと経営者になりたいと思っていました。当時、日本では農業ブームが起き始めていて、農業をビジネスと捉え、企業的で組織的な営農をする。そういった先進的な農業経営者が注目を浴び始めていた時期でした。法人化して会社として農業をやってみたいという思いが徐々に芽生え、それであればゼロから始めるより、基盤のある清水町で家業を継いでみるのもおもしろいんじゃないかなと思うようになりました」。
単に土や作物と向き合う家業としての農業に留まらず、組織的な農業による人材育成や「佐藤ブランド」による作物の商品化など、大きな展望を持って就農されたことが窺えます。
徹底した顧客志向から見えてきた思い
最終的に農業経営者を目指す佐藤さんにとって、お祖父様やお父様とはまた違った苦労があったと言います。省力的な作物として以前より作付していた小麦の差別化を図るべく着手した「スペルト小麦」作りは、徹底した顧客志向によって見えてきた1つの答えでした。
「スペルト小麦と、はるゆたかを合わせた生地で焼いたパンを食べたときに、あまりのおいしさに衝撃を受けました。部屋中にスペルト小麦の豊かな香りが立ちこめ、なにも混ぜなくてもナッツやチョコレートの風味がするんです。こんなにおいしいパンができるのか、と。輸入小麦と差別化したい、自分にしか作れない個性的な小麦を作りたいという僕の思いと、健康志向の消費者ニーズが合致した瞬間でした」。
スペルト小麦は風味が良いうえに栄養価が高く、小麦アレルギーを引き起こしにくいと言われています。そのため、その価値に注目した欧米では、年々栽培面積・消費量ともに増えているのだそうです。
「手をかけて甘やかすと調子に乗る。かといって放任で自由にさせると野生児のようになる。作り手からすると、とても気まぐれで面倒な子ですね。性格を掴むのにとても時間がかかりました。それでも顧客のニーズに合わせた小麦を作りたかった。おかげさまで大手通販サイトのレビューでは高い評価をいただいており、理想とする味まで8割方たどり着けたかなと思っています」。
農家は裏方作業なので、消費者の声が直接届くことは中々ないと言います。それがたとえ通販サイトのレビューという形であっても、佐藤さんにとっては自分の仕事に対する最終評価になるようです。
「やっぱり純粋においしい、もう一度購入したいという声が聞けるのは嬉しいですね。この仕事をやっていて良かったと思える瞬間です。メーカーに卸して終わりではなく、実際に口にしてくださっている消費者の顔を想像しながら作るようにしています」。
後日、教えていただいた通販サイトのレビューを見たところ、高い評価が多いどころか、低いレビューが1つもないことに非常に驚きました。そこにはおいしさへの高評価のみならず、こういう商品を待っていた、こんなに素晴らしい商品をありがとうといった感謝の声で溢れていました。
5年後、10年後を見据えた土作り
顧客志向のスペルト小麦作りに欠かせないのが「土作り」だと佐藤さんは言います。
「畑作は毎年違う作物を作付する輪作によって土壌病害の菌を防いでいます。そのため作付する作物に合った土作りが必要になります。手を抜くのはもちろん、かけすぎても上手くいかないのが難しいところですね。毎年の土壌分析による施肥管理が5年後、10年後の作柄に影響してくるので、日々の積み重ねが大切です」。
土壌が出来上がっていれば、多少の雨や干ばつにも耐えられるそうで、逆に出来上がっていなければ、近年の気候変動に対する抵抗力が弱くなり、味や品質、収穫量などに影響を及ぼしてしまうのだそうです。
「『十勝晴れ』という言葉があるように、十勝平野の西に位置する清水町は比較的晴天の日が多いと言われています。ところが僕が就農した頃から、こんな年はめったにない、今年は異常気象だといったことを毎年耳にするようになりました。こればかりは農家の宿命ですから変えようがありません。僕らにできるのは少しでも環境の変化に対応出来る将来の土を今、作ることなんです」。
生命は強い者が生き残るのではなく環境に適応できた者が残る、だから土作りが大切なんだと語った佐藤さんの言葉がとても印象的でした。
日本の未来、農業の未来
兼業農家が淘汰され、専業農家に集約され始めた日本の農業。今後、日本の人口は減少の一途を辿ることになり、必然的に農業を担う人の数も減っていくことになります。食糧自給率200%を誇る北海道にあっても、厳しい時代が到来すると言わざるをえません。
「清水町のすぐそばにある帯広市には、農業系の大学である『帯広畜産大学』がありますし、農家の子弟であろうとなかろうと、これからは農業をやりたい人が、やりたい場所で、作りたいものを作れる、それが当たり前の世の中になると良いなと思います。そのためには佐藤農業の経営規模・経営面積を今よりも大きくし、これから農業を志す人の受け皿となれるような農業経営者になれたら、と思っています」。
農業は天候と相談しながら仕事を進めていくことが常であり、それだけは絶対に変えられない事実。適材適所で土地柄に合った作物を安定生産していくことが大前提にはなってくるものの、顧客ファーストで心を込めた食べ物を作っていくことで、農業そのものの価値を高めていきたいと考えているそうです。
「一人の農業の担い手として消費者のみなさんに伝えたいことがあるとするなら、自分が口にするものにもっと興味を持ってもらえたらと思います。食べたときの印象、味わいや風味、食感見た目など、直感的においしいと思う食べ物を選んで食べていただけたらと。それはきっと体に必要なもので、安心安全な食べ物であると、僕は思います」。
清く澄んだ川が流れる北海道の小さなまち、清水町。川の氾濫によって度々苦しめられてきたこの町の営農は簡単ではなかったはずです。
それでも顧客の健康を思い、顧客の満足を願い、顧客のニーズに応えようと必死に土と太陽に向き合ってきた佐藤さんの表情は充実感に満ちあふれ、日に焼けた姿が素敵だなと思わずにはいられませんでした。